味覚障害

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コラム

味覚障害

2020/03/26

味覚障害

どうしたらよいか?

今週も、朝ドラ「スカーレット」の様子が、まるで身近にいる方のことのように気になりました。

 

白血病の武志君が、薬を飲みながら自宅で陶芸作品づくりに打ち込んでいましたが、定期通院で受診した際「食欲はあるが味がわからない」と訴えます。

 

そこで稲垣吾郎扮する主治医がどう応えたのか(は重要なのですが)そのシーンはなく、ただ母親である主人公にその事実だけを伝言し、特に指示はありません。

これは困りますね。

味覚障害がどんな感じで、食事はどのように対処すべきかを医師は伝えなければならないし、患者家族ももっと突っ込んで具体的な対処のし方を聞かなければと思います。

 

「味覚障害」と言われたら、身体や消化代謝には問題ないが、知覚神経が効かなくなっているだけのように、聞き受けてしまいます。

そして母親は、「食べないと身体に力がつかないから、わからなくても食べ!」といい、本人も母の愛情に応えるべく「お母ちゃんの味」を想像しながら食べますが、やはりとても困難そう。。

 

残酷だと思いました。

医師が「味覚障害」についてキチンと伝えないから、当人にはとてもかわいそうな仕打ちになってしまっています。

 

ご家族や、近くで接する方はまず、「味覚障害」ってどんな状態なのか、想像してみなければなりません。

味が全くしないとは、塩気や風味のないごはんや野菜を食べているのとは全くレベルが違います。たとえばケーキならばただのスポンジを食べているよう。

はんぺんならばケシゴムを食べているようなのです。

 

そう、まるで本物そっくりにつくられたロウやビニール製の食品サンプルを口に入れる様でしょう。いくら慣れ親しんできたお母さんの料理でも、スポンジやケシゴムは口に入れられませんよね。

 

ではどうするのか?

もちろん決まっています。食べないという選択肢しかないと思います。

 

「そんなわけには・・」

大概そんなご意見が返ってきますが、なぜ「食べない」ということに皆さんはそんなにも不安を感じるのでしょうか?

あるいはとにかく「食事をしっかりバランスよくとって薬を飲んでいれば治る」と信じてしまうのでしょうか?

 

断食という健康法があります。

あるいは「療養法」と呼んでもよいかもしれません。

なぜ断食が健康法で療養法にもなり、それによっていかに人々が元気になるかおわかりでしょうか?

 

肌が艶やかになり、眼が活き活きと輝き、もちろん身体は軽くなり、慢性的な頭痛やむくみが解消したりといった効果をよく聞きますし、実際に拝見して感じたこともあります。

なぜかといえばズバリ!消化器官をしっかりと休ませたおかけで、体調が一度リセットされ内臓が若返ったように機能を充足させたのです。

 

味覚障害、拒食症、食欲不振などはいずれも、体内からの強制断食命令だと思います。

消化力の受け入れ態勢を超えた食事や化学薬品等を摂り過ぎた為に身体から「待った」がかかったのです。

 

「でも、、食べないとエネルギーが入らず身体の活力もでないのでは・・?」

そう思う方はぜひご一緒に断食をしてあげてください。もしくは道場などの専門施設に行って大勢の方と一緒に体験をしてみてください。

 

もちろん、胃がからっぽになると空腹感には苛まれますから苦しさもありますし、辛抱の必要はあります。お腹がすき過ぎると元気も消沈してしまいます。

しかし一定期間の空腹を耐え乗り切ると、あとはすこぶる快適で身体に元気がみなぎり、もうあまり食べたくもなくなると言います。

 

実は空腹感、満腹感とは、胃の中がいっぱいか空いているかの感覚に過ぎず、体力や活力とは全く別物らしいのです。

 

本当の元気とは筋肉よりもまず内臓が疲弊しておらず、いつでも食事や精神的な負荷をも受け入れられる状態をいいます。

だから断食やきわめて少食にすることはそれに近づきます。

 

逆に食べ過ぎていると、胃がいっぱいいっぱいで、あらたな食べ物を受けいれられず、いわゆるストレスを過度に受けている状態と同じなのです。

 

味覚障害は単なる知覚上のエラーではなく、身体の総合的なコントロール機能を発揮している状態なのだと私は思います。

「食べたくない」という内臓からの声を受け止め、素直に従ってみると、内臓の整理や浄化が終わり次第「もういいよ」と食欲を促してくると思います。

それを待って、おいしく食べたらいいのに、、、と私はスカーレットを観ながら祈ってしまいましたが、実話の武志君のこれからも知っています。

せめてこれを読んでいる皆様はどうか、身体の声をよーく聴いて従ってみてください。

お身体の思いをよく感じ取って従うことができたら、寿命が来る前に病気で亡くなったりはしません。

私たちは予め決まっている寿命をもって人生を終えるのであり、病気でなくなるということはそれと闘って消耗し限界に達したということになります。

闘わない方が確実長生きで苦しむこともありません。

 

それでも皆様は食欲や味覚がなくても三度食べ、最後まで病気と闘い続けますか?